聞き書き

芳賀誠|葺師

打ち寄せる波がいつしか満潮を運ぶように、数日降っては収まり、ほどなくして降りしきる雪は、やがて一面を銀世界に包み込む。

羽黒山麓の手向集落では、毎年二つの家が特別な冬を迎える。各家の山伏が松聖として百日間の修行をするためだ。彼らが祭壇に安置し、天下泰平と五穀成熟の祈りを捧げるのが興屋聖(こうやひじり)。百日間の修行は、興屋聖に納められている五穀の成長を守り育てるための忌み籠りの行であるといわれる。

「爺(じい)さんと、おらいのおやじと、俺と。覚えているところで3代目かな」。

手向在住の芳賀誠さん(62)。祖父、父ともに出羽三山神社の三神合祭殿などのかやぶき屋根を手がけた葺師で、興屋聖の作り手だった。芳賀さん自身は別の職に進んだが、作り手を継いで30年ほどになる。

「行明けても拝んでもらうことを考えると、おろそかなものは納められねえ」。

制作が始まるのは夏。稲束から一本一本抜いては、長さや色味、虫つきの有無を見、使える稲をそろえていく。興屋聖1体に150本、2体だから300本。手触りが同じ稲を隣り合わせ、髷(まげ)を結うひもで「一編み一編み、精魂込めて」編んでいく。

まずは土台となる竹ひごの輪に巻きつけて編み(一番編み)、そこから一寸八分上で編み(二番編み)、さらに一寸上で、と五番編みまで。五色の紙で屋根を葺いて水引で束ね、入り口にホオノキで作ったクワとカマを立てる。五穀は竹筒に入れその奥に納められる。

かつてはその中の籾を、牛玉宝印というお札に納め1月4日から農家に配布した。籾に宿った穀霊によって庄内に五穀豊穣をもたらせようとしたのだ。

こうした修行や祭礼に伝承されてきた技術は、商品や生活品を作る技術とは異なる原理が働いている。芳賀さんは言う。「やつすのはいつでもやつされる」。省略はいつでも可能だ。けれどいったん省略形が定着すると、復元は難しい。原形を見失うからである。

芳賀さん宅の神棚には一体の興屋聖が上げられている。明治生まれの祖父重雄さんのもので、囲炉裏で燻されあめ色になったものだ。それは芳賀さんの仕事を絶えず見守り、やがて現れる跡継ぎを支える原形となるに違いない。

芳賀誠

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