聞き書き

斎藤栄市|藁職人

夏の土用は、モノづくりにとって収穫期だ。1年で最も暑いこの時期を前に植物は根から盛んに吸水する。薬草の成分は年間最高の含有量となり、樹木は材と樹皮の間に多くの樹液を流動させ、皮をはぐのが容易になる。多くは冬になされる手仕事だが、材料はこの時期に必要な分だけ収穫される。

「タツノヒゲ」という聞きなれない植物を知ったのは、鶴岡市藤島の藁(わら)職人・斎藤栄市さん(77)との出会いが発端だ。幾度となくご自宅に伺い、その見事な藁細工と縄ないに始まる手仕事を教わる中で、蓑(みの)の材料であることを知った。カヤツリグサ科のコシノホンモンジスゲという草らしい。

斎藤さんは庄内平野に囲まれた藤島の農家に生まれた。藁仕事の上手な父と様々なモノをつくる祖父を持ち、10歳を過ぎて藁仕事を始める。中学に入るころには売り物の「のめぞ(藁製スリッパ)」をつくり、卒業後、多くの同級生と同様に農家を継いだ。

「自分のものは自分でつくるからの。商店では売ってねえから、誰かが家族のものつくらねば」

当時は春と秋に農協主催の品評会があり、俵や蓑、藁の履物の出来が作物と同様に審査された。「今90歳近くなる人の蓑はの、素晴らしいもんだっけ」。そうして磨いた腕で、斎藤さんは作り手が絶えた藁細工の依頼を日本各地から受けるようになっている。

焼け付く日差しの中、斎藤さんと舟形町の猿羽根山を訪れた。タツノヒゲは藤島では採れず、20歳前のころは十数キロ離れた狩川や添津へ自転車を走らせたという。そこも今や採れなくなって、幻の植物に。大工などの職を経て十数年前に藁細工を再開した斎藤さんが、かつて自作した蓑をつくろうと先輩に尋ね、案内されたのが猿羽根山だった。タツノヒゲは緑に輝いて揺れていた。

「長生きせば、また人から聞かれることあるなと思って。どうせ好きでやんなだばの、聞かれたとき『俺知らねえな』では、やっぱり先につながってこねえさけ」

手仕事は人の「自らつくる力」を呼び起こすものだ。ものづくりの楽しみや自然と生きる知恵が込められた斎藤さんの手仕事を、僕も「その先」へ向けて、記録し、伝えたいと思う。

斎藤栄市

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