プロジェクト

調査研究

この列島で人はどのように暮らしてきて、今どのように日々を営んでいるのか。
興味の尽きないそれらを、個人や社会のこれからのためにまとめています。

松代の庵主様

新潟県十日町市松代にあるまつだい郷土資料館の展示のひとつとして「越後妻有の祈りの部屋」を制作しました。越後妻有の人々はどのような精神文化を形づくり、営んできたかを探ろうとした展示です。

かつて妻有には、いくつもの祈りの場面がありました。それはこの土地に暮らす人々が集うきっかけとなっていたと同時に、一人ひとりのこころの拠り所を形づくってもいました。そして、集落には例外なく祈る場があり、四季の移り変わりに応じるように祈りが捧げられていたのです。それは特別なことをしているというよりも、暮らしの一部であり、祈りのある暮らしが当然のようにして行われていたのでした。それはこの雪深く、山々のうちに開かれた集落において、いかにして厳しい自然とともに生きていくかという問いへの、ひとつの答えであったのかもしれません。

そのひとつが庵主堂と呼ばれるものです。かつて妻有の多くの集落の中に小さなお堂がありました。今そのお堂のほとんどは姿を消してしまいましたが、今も堂前、堂坂などという地名が残るのは、集落にとってこのお堂がどれほど重要な場所であったかを物語っています。

お堂には、庵主(あんじゅ)様と呼ばれる女性の僧侶が暮らしていました。庵主様はこの土地の人々にとって、もっとも身近な宗教者でした。集落の誰かが亡くなれば、まず先に庵主様をお呼びして、亡くなった方の枕もとでお経をあげてもらいました。それだけでなく、集落の女性たちにとっては暮らしの様々なことの相談役としてその豊かな経験が頼りにされていましたし、ある庵主堂では、今の保育園のような形で庵主様が子どもたちの面倒を見ていたこともありました。

多くの庵主様は大人数の兄弟姉妹の間に生まれ、幼い頃に庵主様の養子として引き取られ、庵主堂で育てられました。幼子にとって、庵主堂での暮らしは心中想像を絶するものがあります。それでも集落の人々が届けてくれる豊かな収穫の実りに庵主堂は支えられ、幼子はたくましく成長し、次世代の庵主様へとお堂を受け継いでいったのでした。厳しい風土にあって、庵主様になるということは、女性の生きてゆく道の一つとしてあったのです。

神社や寺院より人々の暮らしの近くにありながら、いつもの暮らしの中で忘れてしまいそうな大切なものを守っていたのが庵主堂でした。それは、あたかも暗闇の中の灯火のような存在でした。今、多くのお堂が年とともになくなり、その灯火は消えてしまったかのように見えます。しかし妻有の人々の祈りの来し方を見つめることは、妻有のこれからを考えるうえで、欠かせないことではないでしょうか。庵主堂の仏像や仏具は集落の集会所などにひっそりと大切に安置されており、再び陽の目を見る機会が待たれているように思われるのです。

この展示では、松代・太平の集落センターに保存されているかつての庵主堂の仏像や仏具をお借りして、期間限定の展示を設置しています。遠くから聞こえてくる川の流れや、窓から差し込む四季折々の光にこころを澄ましながら、妻有のこころのかたちに、どうぞ触れてみてください。

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