プロジェクト

芸能

東北には山伏が伝えたといわれる芸能が数多くあります。一般的に、秋田などの日本海側では番楽、宮城などの太平洋側では山伏神楽や法印神楽といわれているものがそれで、神楽といえば伊勢や出雲がその源流とされていますが、山間僻地に残る民間神楽のほとんどは山伏系の神楽なのです。

山伏は、山を他界、自らを死者として、山中で擬死再生の修行をおこないます。人は死んでも魂は続くとする日本古来の霊魂観によれば、社会の様々な災いは荒魂や怨霊やもののけによってもたらされるもの。山で苦行を積み、生まれ清まる山伏は、荒ぶる魂を抑え、鎮めることのできる鎮魂呪術者として地域社会から期待されたのでした。他の誰でなく山伏が神楽を伝えたといわれる所以はここにあります。

そのような芸能と山伏の深いつながりを思いながら、今日の芸能表現を探り、作品をつくっています。 

日仏協同制作舞踏作品「フクシマ 痛むものの声」

東日本大震災と福島原発事故を受け、舞踏家森繁哉氏が構成・演出したこのダンス作品に現代の若者と中世の山伏という役割で出演しました。この作品は、先の原発事故を、日本列島に培われた想像力の次元を含めて問題化したもので、原発に象徴される文明のある側面が、私たちの生活にいかにあり、私たちがどう付き合ってきたかを喚起しようとしたものです。想像力の次元という、得てして顧みられることのない領域に表現の錨を下ろすことで、散り散りになった震災以降の人と人、土地と人の間にコミュニケーションの通路を開き、まだ見ぬ文明の本質を見ようとしました。

2012年の師走も押し迫る会場には双葉町をはじめかつて福島県に住まいしていた沢山の方々がご来場くださいました。講演後にいただいた感想は今も忘れることはできません。雪の降り始めた会場を後にしながら、この作品はまだカーテンが下りていないと感じました。

寿歌

初めて構成・演出をしたこの作品は、日知舎設立後の初イベント「緑の山伏 mounted in 出羽」で講演しました。

定住者と移住者が一つの土地に暮らしてゆくことのこれからを考えてみたい―背景にあったのは、東日本大震災を機に、いわゆる「地方」に移住した東京の友人が幾人かいた一方で、庄内にはUターンやIターンの移住者が増加してきたという日常でした。これから「地方」で起こることは、異なる文脈や価値観を持った移住者と定住者同士が新しい地域、新しい文化を生み出してゆくことではないだろうか。

霊場としての山が開かれた所以を語る開山伝承には、よその土地からやってきた山伏が、土地の狩人などに導かれて山を開いたとするものが数多くあります。こうした物語の背後にあるのは、山伏に象徴された移動性の高い集団と、その山を生活の舞台としていた集団との対立と葛藤と、それを経て融和に至る交渉過程です。この過程を身体表現に置き換えるなら、それは反閇と呼ばれる呪術的な足運びに他なりません。

「フクシマ―痛むものの声」で共演した佐藤あゆ子、橋本匡史の両氏を迎えて白山座という名の芸能集団を結成し、出羽の地霊の表象であるシシと早乙女と、来訪する仮面神とが衝突し、争いながらそれぞれの一歩を進め、同じ土地で四季を繰り返してゆくさまを描きました。

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